でたらめ

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どうして僕があの子のことをここまで考えてしまうのかって理由はいろいろあるけれど、一番はやっぱり家庭環境が本当に全く同じだったのと、思っていることや考えていたことに重なる部分が多かったからなのだと思う。

 

僕の両親は僕が幼い頃に離婚をした。
その後は親権を得た母親に引き取られ、それに伴い引っ越し、転校をすることになった。

あの子もそうだった。

あの子も幼いころに両親が離婚し、母親と一緒に暮らすことになり、引っ越し,転校をしていた。

そして僕が転校をしたのは小3に上がるタイミングだったが、あの子も小3に上がるタイミングで転校をしていたらしく、その時期まで完全に一緒だった。

時期まで一緒だと知ったのはここ1,2年のことで、亡くなってしまった2018年当時はまだ知らなかった。初めてあの子を知ったのは2018年7月2日の深夜、Twitterに自殺配信の動画が回ってきたのが最初だった。元々ろろちゃんの配信などは知っていてそれについてはそこまで気持ちは動かされていなかったが、なぜかあの子の配信にはとても心が吸い寄せられてとても悲しい気持ちになり、気付いたらあの子についてひたすら調べていた。そしてあの子が生前インターネット上に遺していた言葉たちを読めるだけ全て読んだ。一番出回っていたアカウント、二つ目のアカウント、あまり知られていない三つ目のアカウント、そしてリア垢やブログに至るまで毎日毎日情報を探しひたすら読み耽った。

当時はなんでこんなに吸い寄せられるようにこの子について調べてしまうのか分からなくて自分でも戸惑っていた。それでも読み進めていくうちに家庭環境や思っていたことがすごく自分と似ていることを知っていった。特にすごい分かるなと思ったのとして 『私はな今まで楽しかったことはありますか?て聞かれても全ての人間関係が続いたことがないぴなもんで楽しかったなって思う出来事も一緒になにかした人のことを思い出したらあぁあのこ今なにしてんだろな、楽しかったはずやのになて虚無になるぴな、人との関係がとてもこわいな。』というツイートがある。僕自身人間関係が全然続いたことが無く今でも絡みがあるのは高校の友人わずか数人だけで、他の全ての人間関係はもう途絶えてしまっている。でもその時その時では友達がいたはずで、楽しかった記憶もあって、だからこそ楽しかったことを思い出そうとするとあの時は楽しかったはずなのになって虚無になり、人との関係をとても怖く感じてしまう。その感じがあの子も全く一緒だったみたいでものすごくシンパシーを感じた。また他にも同じような気持ちや考えのツイートが多くあり、あの子への気持ちがどんどんと大きくなっていった。

そして数年が経ち家庭環境が変わる時期まで一緒だったことまで知った。同じことが多くて驚くというよりは、ああだからこんなに引き込まれてしまうのかと納得する気持ちのほうが多く、ここまで考えてしまうのも必然なのだと思った。


でも当然似ているところだけではなくて、違う部分だって多くある。中でも僕と違ったのはあの子はとてもとても頑張り屋だったことだ。

僕は2018年当時は大学1年で、バイトをしなきゃと思いながらもバイトをするのが怖くて今まで貯めていたお年玉などの貯金を崩しながらダラダラとした夏を過ごしていた。このままではダメだと分かっていながらも、一歩を踏み出す勇気が出なかった。

だけどあの子はそんな僕とは違い、アルバイトや学校生活など全てにおいて僕よりも頑張っていた。それも精神疾患や中退、違う高校への再入学など、僕よりもよっぽど大変な状況の中でだ。

あの子が自殺をしてしまう数日前にも、まいわかボダ子の方のアカウントでバイトに関するツイートがいくつかあった。『ホンワカパッパはたらきたいホンワカパッパはたらきたいホンワカパッパはたらきたい』 というツイートをした次にはもう 『とりあえずバイト応募した 行動って感じ』とツイートしており、その行動力の凄さに驚いたのを覚えている。また、コンビニバイトをしていた時期にも 『頑張りたい』という旨のツイートがいくつかあり、頑張りたいと思うこと自体がとてもすごいと思った。

そんな頑張っていた姿を見て、それに対して自分は何をやっているんだろうという気持ちが大きくなった。あの子よりも2つ年上で、診断された精神疾患などもないのに、あの子よりも全然頑張ることができていない。それどころか ”頑張りたい"  なんて思ったことは一度もなく、できるだけ頑張りたくないという気持ちだけでしか生きていなかった。なんでこんな自分がダラダラ生きていて、頑張り屋なあの子が亡くならなければいけないんだろうと思うと、ものすごい罪悪感とやるせなさに苛まれた。それからというもの、僕は少しでもあの子と同じように頑張りたい少しでも同じように生きたいと思い、あの子のおかげでなんとかバイトを始めることができた。バイトを始められたのも続けられたのも、さらには就活などの他のことも頑張ることができたのは間違いなくあの子のおかげだし、今でもあの子から頑張る力や生きる力を貰い続けてしまっている。あの子がいなかったら絶対に今の自分はいないし、あの子の存在を知ったことによって僕の人生や生き方が大きく変わったと断言できる。


こうした似ている部分へのシンパシーと、似ていない部分への尊敬の気持ちが大きくなればなるほど、すでに亡くなってしまっているという事実が突き付けられてとても悲しくなる。そして悲しくなればなるほどあの子のことを考えてしまい、上記のような色々な思いがどんどんと膨れ上がる。そうなることでまたさらに辛く悲しくなり、あの子のことをまた考えてしまう。亡くなってしまった人に出来ることというのは本当に何もなくて、ただただ忘れないでいることしかできず、毎日毎日考えてしまう。

この間ようやくあの子が暮らした奈良県へ行くことが出来た。千葉から電車と新幹線を乗り継いで約6時間。そこで今更当たり前だけど死んでしまった人とは絶対に会えないんだということを改めて実感してしまった。今まで何度も思い出して泣いたりしたけど結局距離が離れてるからといってどこか遠くの出来事のような気でいたのかもしれない。それでもいつか奈良に会いに行くなんて思いながら、この約4年間なんとか頑張って生きてきた。ここまで頑張って来れたのも頑張り屋なあの子の姿を見て少しでもあの子のようにいたいと思ってのことで、今の自分があるのはあの子のおかげだと本当に思っている。今回ようやくあの子の暮らした土地にお参りしに行くことができて、もしかしたらどこかにいるんじゃないかなんて心の隅で思いながらあの子の生きた場所を手当たり次第に辿っていった。だけどどこを探しても当然あの子はそこにはいなくて、それどころか生きた形跡の一つですら残っていなかった。ただただその街にとっての普通の日常が流れていて、ただただその土地の住人が何も知らない顔で生活をしているだけだった。ふれあいの街、通っていた中学校、星の綺麗な曽爾の村、中退した高校、バイト先のコンビニ、新しく頑張ろうと入り直した別の高校、夜な夜な徘徊して辿り着いた教会、自ら命を絶った駅、どこにも居なかった。この4年間ここに来るためだけに生きてきたけど、もうここにあの子はいないし、あの子に関する霊的な何かを感じるわけでもなかったし、本当に何もなくて何も起こらなかった。不思議と涙は出なかったけど、心にぽっかり穴が開いてしまったような虚無感を抱えたままその日はホテルへと戻った。ホテルに着くまではぼんやりと冷静に死について考えたりしていたが、鍵を閉め一人になった瞬間、堰を切ったように自分でもびっくりするほどの涙が溢れてきた。死んでしまった人はどこにもいなくてもう決して会うことは叶わないんだということを改めて思い知らされた。ここで初めて明確に死という現実を突き付けられた気がした。もう今後どうやって生きていけばいいのかわからない