でたらめ

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この間ようやくあの子が暮らした奈良県へ行くことが出来た。千葉から電車と新幹線を乗り継いで約6時間。そこで今更当たり前だけど死んでしまった人とは絶対に会えないんだということを改めて実感してしまった。今まで何度も思い出して泣いたりしたけど結局距離が離れてるからといってどこか遠くの出来事のような気でいたのかもしれない。それでもいつか奈良に会いに行くなんて思いながら、この約4年間なんとか頑張って生きてきた。ここまで頑張って来れたのも頑張り屋なあの子の姿を見て少しでもあの子のようにいたいと思ってのことで、今の自分があるのはあの子のおかげだと本当に思っている。今回ようやくあの子の暮らした土地にお参りしに行くことができて、もしかしたらどこかにいるんじゃないかなんて心の隅で思いながらあの子の生きた場所を手当たり次第に辿っていった。だけどどこを探しても当然あの子はそこにはいなくて、それどころか生きた形跡の一つですら残っていなかった。ただただその街にとっての普通の日常が流れていて、ただただその土地の住人が何も知らない顔で生活をしているだけだった。ふれあいの街、通っていた中学校、星の綺麗な曽爾の村、中退した高校、バイト先のコンビニ、新しく頑張ろうと入り直した別の高校、夜な夜な徘徊して辿り着いた教会、自ら命を絶った駅、どこにも居なかった。この4年間ここに来るためだけに生きてきたけど、もうここにあの子はいないし、あの子に関する霊的な何かを感じるわけでもなかったし、本当に何もなくて何も起こらなかった。不思議と涙は出なかったけど、心にぽっかり穴が開いてしまったような虚無感を抱えたままその日はホテルへと戻った。ホテルに着くまではぼんやりと冷静に死について考えたりしていたが、鍵を閉め一人になった瞬間、堰を切ったように自分でもびっくりするほどの涙が溢れてきた。死んでしまった人はどこにもいなくてもう決して会うことは叶わないんだということを改めて思い知らされた。ここで初めて明確に死という現実を突き付けられた気がした。もう今後どうやって生きていけばいいのかわからない